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2011年3月

東北地方太平洋沖地震の備忘録②

40階建てのビルの半分くらいの階にある会社から1階に降りると、すでに脚に違和感。なんだか腿の辺りに疲れが・・・

とりあえず、銀座方向に進もうと晴海通りを歩き始めましたが、都バスが走っておりまして、ちょっとでも体力を温存しようと、とりあえず東京駅行きのバスに乗りました。結果として、これが良い判断でした。

私と友人は横浜に住んでいるので、最悪、国道246号線を歩こうかと考え、少しでも近づこうと。東京駅に行けば、何かしらの交通機関が使えるだろうと考えたのですが、甘かった・・・

都バス以外は全然動いていない・・・

東京駅に着いたのは午後6時頃だったのですが、その頃には既にJRは「もう運行しない」とアナウンスしていました。

いきなり横浜を目指すのは大変なので、渋谷に向かおうと、バスの案内所の相談窓口に並ぶこと30分。直接渋谷方面へのバスは出ていないことが判り、途中で乗換えが必要とのことですが、ルートはあります。しかし、既に長蛇の列ができていました。1000人以上は並んでいたと思います。

この日は風が強く、寒かった・・・。バスを待って2時間ほど並んだのですが、列は全然進まないし、バスも来る気配はない。寒さと疲れ(20階から階段で下りただけなのに)で脚が震えて、余震が来ているのかも判りませんでした。

ふっと見ると、新幹線が動いている??

東海道新幹線が動いていると判り、行く先を渋谷から新横浜へ。新横浜に着けば、自宅はだいぶ近い。最悪歩いても、何とか帰宅できます。バスも動いているようだし。

ところが、横浜と川崎の一部が停電になっており、バスが途中までしか行かないとのこと。

もう、目と鼻の先なのに・・・。とりあえず、バスを待つ。うう・・・2時間。全然、バスが来ません。他の行く先のバスは何本も来ているのに、私が乗りたいのは来ません。こちらも長蛇の列・・・。寒いよ~

あとで知ったのですが、横浜アリーナは帰宅難民の方々向けに開放していたそうです。

でも、きっと、何か、奇跡が・・・

11時を回る頃、ついに奇跡が!横浜市営地下鉄私鉄が動き始めました。

日付は変わっていましたが、歩くことなく、ようやく電車に乗り自宅へ帰り着きました。もう、フラフラでした。

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東北地方太平洋沖地震の備忘録①

今回の震災で被害に遭われた方々にお見舞い申し上げます。

また犠牲になられた方々、ご遺族の方々に対し深くお悔やみ申し上げます。

お陰さまで私もせいのすけも元気です。

久々のブログの内容が猫のことではないので、申し訳ないのですが・・・

今回の震災のこと、自分でも忘れないように書き留めておこうと思います。

3月11日、私はいつものように晴海にある高層ビルで働いていました。

地震の発生は、ちょうどトイレからオフィスに戻ろうとしたときでした。

同僚が「揺れていない?」と言い、私も「本当だ」と思った瞬間、その揺れは大きくなり、もうたっていられないほどに。トイレにいた人達皆、しゃがみ込んで壁や洗面台につかまって、なんとか堪える感じでした。トイレの個室のドアもポルターガイストのように何度もバタバタと開いたり閉じたり。

ザー、ザーという音とミシミシという不気味な音が続き、ビルが倒壊するのではないかと思いました。驚いたのは壁の動きと床の動きがずれていること。これって高層ビルの免震構造の特徴なのでしょうか。

揺れが収まってきて立ち上がれるようになるまで、5分くらいかかったような気がします。とにかく長かった。船酔いしたような感じで、ふらふらしました。

急いで部屋に戻ると、課員全員がヘルメットをかぶっていてデスクの下から出てきたところでした。

私のいる部屋は東京湾を望むことができ、東京ゲートブリッジが正面に見えます。右手にはフジテレビのあるお台場、左手は豊洲があるのですが、お台場からすごい黒い煙が立ち上っていました。一瞬フジテレビが燃えているのかと・・・。

201103111その後、手前のビル群の奥にオレンジ色の明かりが。何だろうと見ていたら、大爆発。千葉の市原の石油タンクの事故でした。

写真は初期の頃。この後すごい火柱が上がりました。

その後も、何度も下から突き上げるような衝撃と揺れが襲ってきて、そのたびに不気味な軋み音がして、もう怖かった・・・

ビルの防災センターからは「まだ部屋から出ないでください」とアナウンスが入り、ヘルメットをかぶったまま、デスク周りを片付け指示を待ちました。

会社からも「安全が確認されるまで、待機してください」と指示があり、2時間ほど待機となりました。正直言うと早く帰宅したい、と思いました。陽が落ちて暗くなりかけてきていたので。

地下鉄もJRも動いていないことはもう判っていたので、徒歩で帰るにしろ、なるべく早く出発したい。窓から外を見ると国際展示場の方面から大勢の人たちが歩いてくるのが見えました。

ようやく帰宅の許可が出たのが17時半頃。同じ方面に帰る同僚と会社を出ました。

しかし、これからが長かった・・・

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